解体作業が起きている

ここ数年は学びほぐし(Unlearn)が本格的に起こっている。

新しいことを付け加えていくように学ぶというよりもこれまで前提としてきたことを解体して理解するという作業だ。

身体のことでいえば、

「筋力・フィットネストレーニングの世界」から「思想・体技の世界」へ

スポーツ科学」から「宇宙生命物理学」へ

体技の道を歩んでいく際には、これまでの身体の動かし方を極力最大限に忘れるために一切の筋トレをやめた。それまでやっていたスポーツもやめた。華厳経(Avayamsaka Sutra)、仏教、キリスト教などの宗教観、修験道や禅思想、絵画やクラシック音楽などから発想を得た体技。また、宇宙という概念も体技の中に組み込まれている。

スポーツ科学にはめっきり興味がなくなって、しばらくは学習理論、人材育成・組織開発を勉強してきたけど、それもほとんどやめて、最近は宇宙生命物理学を学び始めている。機能解剖学や生理学ではなく、原子の構造を知ることで身体のことを学んでいる。ここには古神道やチャクラも入ってくる。ここでも宇宙という概念が入ってくる。

こうやって学んでいくと、ザ・ブルーハーツの「情熱の薔薇」が頭に流れる。

見てきた物や聞いた事

今まで覚えた全部

でたらめだったら面白い

そんな気持ちわかるでしょ

全くこの歌詞の状態だよ。でたらめだった。巧妙に嘘じゃないでたらめだったよ。

今はこれまで勉強してきたことを忘れることに徹し、学んだままに覚え、しみ込ませていこう。

 

変な夢を見た

今日、変な夢を見た。
本のページ文字ではなく、一枚の絵のように記憶されていて、それがペラペラとめくられていく。書かれている文字を理解しているとかではなく、そのページを画像として記憶しているような感じ。絵として、存在として情報を受け取っているような感じだった。

答えはずっと奥の方

やっとわかった気がする。
内なる自分(inner self)って言葉、まじわかりづらかった。
本当の自分とか、あるがままの自分とかも、実はよくわからない。
外と内の関係性で、内側に聞いても。内のさらに内に聞いてもさ。
全然わかりませんよ。
内なる自分とは、別存在なんだもん。
内なんかよりも、もっと奥、ってゆうか、背後にいるじゃんね。
そりゃ自分じゃわかんないよ。
自分で問いかけてもわかんないよね。内なる自分、内側の自分に問いかけてもさ。
もし、もしその存在に気付ける方法があるとしたら、
誰かか透き通った目でその存在を見つけてくれて、見つめ続けてくれることなんじゃないかと思う。
そして、色々な角度からさ。

俺は起業家にはなれない

「世界をこうしたい」

「このサービスを使って世の中がこうなればいい」

そういうことを言っている人たちに憧れがあった。正直かっこいい。

彼らは原体験を掘り下げてそこから出てくるアイデアをサービス化したり、好きって感覚をプロダクト化したり、そうやって何かを世の中に届けようとしている。

自分の中にも、その何かがあるのではないかと、

自分にしかない体験や経験

自分の中にある情熱やアイデア

好きな気持ち

そう言ったものが。

でも、それがなかなか見つからなかった。

探しても探しても、時間ばかりが過ぎ、それが出てこない自分を責めてばかりになってしまう。

ずっと考えてきたけど、出てこなかった。

だから、もう考えるのはやめた。

俺は起業家にはなれない。ならない。

声のSNSと水星の逆行

2021年2月19日

一年に約三回程、天体的に水星の逆行が起きると言われている。

今年の始めの水星の逆行は1月31日から2月21日まで。

水星は、コミュニケーションや知性などを司るようで、逆行の時期は、通信系のトラブル、コミュニケーションのずれなどが起きやすいらしい。

 

その影響もあってか、海外起業家の音声SNS「Clubhouse」が日本で流行した。おそらく一時的なものかと思われるが、さまざまなSNS上でこのアプリの拡散具合を知った。

 

僕はというと、昨年の2月頃から日本人起業家の井口尊仁氏が開発した「Dabel」を以前から使用していた時期があり、それを再度ダウンロードして体験を懐かしんだ。

 

この二つのアプリの体験を比較すると、「Bond(絆)」ということが浮かぶ。

 

Dabelは、人と人とのつながりが本当に丁寧で編み合わせるように時間を紡いでいく。一方で、今のClubhouseは銃弾戦のように言葉が発せられる。

 

Dabelは、話す側と聴く側の参加の自由度が高いながら、そこに相手の存在を雰囲気として感じさせる。一方で、今のClubhouseは、聴く話すが分断され、そこに上下が発生してしまっている。

 

Dabelは、誰しも声を発せられ、小さな声や聞こえづらい声までも発せられ、ユーザーである隣人たちがその声を拾い受け止め、どこかにつなぐ。ゆるさがある、引出しのあそびのような適度なゆるさ。一方、今のClubhouseは、同種の仲間を探すことが容易にでき、その声を大きくすることができる。でも、強者弱者が生まれたり、数の大きさが膨れ上がったりすることで、もうすでに息苦しさを感じさせる。

 

この二つの音声アプリの様相を見ていると、元MITラボ所長の伊藤穰一氏が語った「

インターネットやSNSの発展は、中央化と脱中央化が繰り返されている」というのを思い出す。

 

そして、同じ声のSNSアプリだけれど、Clubhouseは中央化の道へ、Dabelは脱中央化への道を進んでいるように感じる。中央化されることで分断が起き、脱中央化されたことでつながりが深まる。そんな展開になるのではないだろうか。

 

水星の逆行が影響を与えるというのならば、Clubhouseの拡散はそろそろ落ち着きをみみせるだろう。情報発信者たちが疲弊し始めるだろうし、受信者たちも有名人や著名人の話とはいえフリートークに耐えられなくなる。

 

20時以降の居場所が少なっている今、オンライン社会に接する人々は、今求めるコミュニケーションが何なのかを再考するのではないだろうか。

日記でさえも

日記でさえも本音を書き綴れていないと感じているのにも関わらずブログを始めてみる。

 

今回、ブログを始めるにあたり、以前からブログを書き続けている知人のサイトを覗き見してみた。

 

しばらくぶりに見てみたら、ブログや日記どころじゃなく、詩を書き、作曲やペインティングまでしていた。

 

どんどん先に行ってることを知る羽目になる。

 

ブログすら書けていない自分を猛烈に責め立ててしまった。

 

もし、一人一人の命の証を記すことが許されるのならば、ここに書いてみよう。

 

どうやら、表現することに恐れがあったようだ。