続・生きている価値について悩むのやめた

生きる価値について悩んでいると、

「そんなこと悩んでも意味ないよ」、「そんなに考えても無駄無駄」、「辛気臭いなぁ」「真面目すぎるなぁ」なんて声をかけ慰めてくれる人が結構いる。

 

でも、僕はそうは思わない。

 

この答えにたどり着くまでは苦しかったし、時間を費やした。
生きている価値をどうにかあることを証明したかった。
精神世界的にも、生物学的にも、存在論的にも...考えてみた。
それでも、そこからの答えは、心のどこかで疑いうることだったんだと思う。

 

だから、疑いうること考えることは決して無駄じゃないし、
そのおかげで自分の価値観に向き合ったり、
自分をマネジメントする術を学ぶことができた。

 

生きている意味や価値を考えることやそれを悩むことは決して無駄じゃない。
そうしてきたことは肯定していい。

 

でも、もう悩まなくていい。
このブログをここまで見ただけで、この管理者のためになっているし、電気代、パソコンスマホ本体に、通信代、それらを供給する人たちのためになっている。

君や僕という存在のために、勝手に回っていてくれている。
経済がそうやって生きる価値があることを証明してくれる。

 

だから、生きる価値があるか、ないかで言えば、ある。

 

水道ひねっただけで、大腕振っていい。

 

「そんなの当たり前のことだろ?」と思うかもしれない。
でも、その当たり前がすごいことになっている。


そう思う人は、それを供給してくれている人に日々感謝をしているのだと思う。
もしそうだとしたら、その感謝、ありがとうの気持ちは2倍になっている。
そう思うとすごいことだよね。

 

だから、もう思い悩まなくてもいい。
どう生きていきたいか、自分で思い描いて生きていけばいいかを思い悩み、決断していけばいい。どんな未来を作りたいかを考えて、行動を起こせばいい。

どんな決断であろうと、どんな行動だろうと、君には生きる価値がある。

 

俺が強かろうと弱かろうと、健康だろうと不健康だろうと、何か持っていようといまいと、お金があろうとなかろうと、精神的に成長していようといまいと、就職していようといまいと、仕事していようがサボっていようが

俺には生きる価値がある。それはもう疑えない。

 

いろいろな角度から悩んできた君も、何度も何度も考え込んできた俺も
そうやって悩んでいる間にも誰かの役に立っているのだ。

 

見えないし、見えづらいけど、嘘じゃない。

 

だから、もう悩まなくていい。