出会いと新たな名前

 初めてA先生と会ったのは、2018年7月の瞑想会だった。

その年の6月1日に知人のSFさんからお誘いのメールがあった。以前からA先生の武道や会に誘ってくれていて、僕がFacebookに「何か武道をやりたい」と書いたところ、 A先生とその団体について紹介をしてくれた。

その日のメッセージでは、月一で開催されるA先生の講義・瞑想に一緒に行かないかいという誘いだった。あいにく、6月9日は祖父母の一周忌があり、向かうことができなかったが次月の会に一緒に行くことにした。

7月某日、市ヶ谷にあるあるビルに向かう。ビルの一階のロビーではどなたかが話されていて、軽く会釈をして、エレベーターに乗って、会場に向かう。30~40人くらいが入る部屋に入ると、入り口そばで、女性が受付・案内をしてくれた。おそらく申し込みをした際に連絡をくれた事務局の方だと思い、挨拶をして会費の支払いを済ました。

その彼女は、僕に一番前に座るように促してくれた。恐れ多かったが、座らせて頂いた。

ニコニコしたおじさんが前方のホワイトボード前に椅子に座る。一階で談話していた男性だった。あの人がA先生だったのかと、挨拶をしておいてよかった。

実は、A先生のことはあまり詳しく調べていなかった。正直、ホームページをみてもあまりわからなかったというのもある。

講座開始に事務局長の方から全体に紹介していただいた。そして、その後に、A先生から僕の名前の漢字について説明をしてもらった。(恒例のことなのだなぁとその当時思ったのだが、後にも名前の解説をしてもらっていた人はいなかった。)

 

ホワイトボードに非常に達筆で「遵」の字を書いてくれた。

 

遵という字の成り立ちは、樽を捧げる姿から来ていると言われており、自分よりも上位のものに何かにしたがうことを意味しているとのことだった。

 

その頃の僕は、自分の名前に退屈さを感じていた。従う、遵うということが、社会のルールや学校のルールに従うことで、その枠から出ることができない自分がなんだか嫌だった。真面目な自分、馬鹿正直になってしまう自分が嫌で、苦しかった。

 

A先生は、字の成り立ちに続き、こう言ってくれた。

「自分よりも大きな存在、なんでもいいんですけど、宇宙の真理にしたがう、というふうにも読めるね(*)」と。

 

その言葉は本当に衝撃的だった。退屈さを感じ、うんざりしていた名前だったのに。

A先生のその言葉を聞いて、そうかと、宇宙の流れに、ルールにしたがって生きていけばよかったのだと。急に目の前が開けて明るくなってきた感じがしてきた。35年間付き合ってきた「遵」という名前だったが、その時、新たな名前をもらえたような気持ちになった。それは何かの洗礼を受けたような気持ちになったを今でも覚えている。

 

そして、この日が人生で初めて師と呼べる存在に出会うができた日となった。