インターステラーとルン・ル

週末と昨日、インター・ステラーという宇宙映画を観て、ルン・ルという速読術の書籍を読んだ。

 

インター・ステラーを観て、もっと瞑想を深めたいと思った。

それは、未来の自分が死ぬ寸前に、過去の自分にメッセージを送っている可能性があって、それに気づくためにだ。

インター・ステラーの最後の場面では、主人公が臨死体験をして五次元の世界から過去の自分や娘にメッセージを送る。送ると言っても直接現れて話しかけることはできないから、何らかの間接的な形でのメッセージを送る。それは本の位置かもしれないし、落ちたものかもしれない。

だから、メッセージを送られた側は、何がメッセージなのかに気づき、それを読み解くしかない。それゆえに、それに気づくためには、気づきのレベルを上げておく必要がある。

 

啐啄的なところがあって、送る側の死の時期と受け取る側の生の時期に合わせたメッセージを作る必要がある。でも、死ぬ時期はわからないから、今の僕にできることはそのメッセージに気づけるようになることだ。

だから、もっと瞑想を深めて、メッセージに気づけるようになろう。

 

ルン・ルという速読法に関する本を読んだ。速読を超えるサイバーリーディングと呼ばれ、余分な力を抜いていくことが必要だという。

 

ルン・ルは、死ぬ寸前の準備なのかなと思った。

 

本の中盤でルン・ルの提唱者の植原紘治先生が自動車整備工をしている際に子どもたちに勉強を教えていたのがルン・ルの始まりとしてエピソードを語っている。速く読む

、加速させながら読む、読むから見るに移行していくのだが、その後が重要なのかと思う。速読で読んだことを思い出すという行為だ。

 

最近、本を読んでも読んでも、なんだか足りないという気持ちが解消されなかった。自分の目のせいや記憶力にしたくなる。でも、気づいたのは、これまで思い出すということを意図的にやってこなかった。気づいたところには線を引いたり、メモを取ったりするものの、それらを思い出すということはしてこなかった。

学習方法を間違えていたことに気づく!読むことだけじゃなくて、思い出すことが大事なんじゃんと!

 

そして、インター・ステラーを観ながら、ふと、気づく。

臨死体験中に思い出せなかったら困るじゃん!

いつのどこで何が起きていたか覚えてないとメッセージを送れないじゃん!

 

そう思うと、ルン・ルというのは、臨死体験中に、人生や時間の一コマ一コマを思い出すための予行練習なんだなと気づく。映画のフィルムのように記憶・記録されているコマのどこに自分が行きたいのかをそれを思い出すための準備。

 

とっ散らかってしまった気がするので、まとめる。

 

インター・ステラーからは、未来から今の自分にメッセージが送られている可能性があることがわかった。その未来から今に送られているメッセージをいかに受け取るか、気づくことの重要性を気づく。今を生き、メッセージを受け取る側として、気づきのレベルを上げておく必要があるのだ。

 

ルン・ルからは、逆に死に直面した時のメッセージを送る側としての練習なのだと気づきを得た。五次元の世界に行った時に迷子にならないための準備。過去の自分のいつ・どこで何が起きたのかを思い出すためには、思い出す練習をしておく必要がある。

 

今を生きるのも、死ぬのも楽しみになってきたぞ!