直感と理性の関係再考

悪いことが起きた時、理性が働かなかったことが原因であるように語られることが多い。行動の抑制機能としての理性に欠陥があったような感じで話されることが多い。本当にそうなのだろうかと最近ふと思った。

 

確かに、起きる物事について知識として知っていたとしてもその瞬間瞬間に判断がつかず、起きる必要のない出来事のリスクを高めてしまったり、あまりよくない結論を招いてしまったりすることもある。でも、それはその一瞬の話で、理性や知識上では起きる結果はわかっている。

 

でもだ、こういった出来事が起きる前に何度かある直感的なサインを逃していることに気がついた。そういった出来事に至る前に、何か違うな、理由もわからない、論理的考えても別に変じゃないと考えられるのに、違和感が訪れているんだけど、それを無視してしまっていることがある。そのサインを気のせいだと見過ごしてしまったせいで、起きてしまうのだ。

 

理性的な判断が迫られる前にもう既に身体的な反応が起きている、異常サインが来ている。それをキャッチして置かなければならない。そのサインを無視してしまうと、なし崩し的に物事が起きてしまうのだ。

 

からだからのメッセージをやはり優先しなければならないとなおさらに感じている。理性的にどうとかというのは僕にとっては二次的なものなのかもしれないな。