あの場はどこに

騒動から9ヶ月が経った。今も複雑な気持ちでいる。あの日々は一体何だったんだろう。あの感動と気づきの連続の日々は何だったんだろう。いざ、こうやって文章にし始めると思い出されないモヤモヤがあるのだけれど、ふと悲しくむなしい気持ちになる。この5年間の時間が一体なんだったのかと無に消えてしまうような気持ちにもなったりする。

 

書法を始めた頃、僕はこう思ったことを明確に覚えている。それは、会の人間として職場にいきたい、働きたいという気持ちであり、決意だ。大学の人間やある領域の人間として、会の稽古に出るのではなく、会の人間としてそこで得た知識や叡智、身体技法をもって、職場に貢献したいという意思表示であり、それは価値観の転換でもあった。会の稽古にこそ真実があり、それを掴みたいんだと、掴むんだと意気込んでいたところもある。

 

さらには、それは同時に学術的立場の否定でもあった。何か学術のために情報をとっていこうとする立場で、この稽古の空間にいることが何だか穢らわしく感じたからだ。それくらいに会の活動や稽古が僕にとって神聖であり、真実に近い感じがした。それを通りすがりの人間としてある一定期間潜伏して、それを自分の業績しようとすることに僕はある種のいやらしさを感じていた。だから、記録を残すとか、学術論文のために特別にみたいな依頼をすることは避け、一人の稽古人として会の活動や稽古に参加することにした。

 

そうやって月日が経ち、会の活動や稽古は、僕にとって紛れもなくホームになった。ホームとフィールドの関係は逆転していた。大学教員であることよりも会の人間としての自分を強く感じていたし、誇りにすら思っていた。この会で、師匠や師範たちの元で稽古を積めていることが僕にとって嬉しく、誇らしいことだった。だから、2018年以降は何よりも稽古の日程を優先した。その日に向かって僕の日常は動いていた。

 

稽古の場に足を踏み込む度にいわゆる浄化がなされ、その身心の状態で日常を過ごすことが何より大事だった。職場で何があろうとも自分には稽古があるからそれでいいと思えていられた。その空間での積み重ねが何よりも重要なことだった。そうだったからこそ、初段の免状は嬉しかった。本当に嬉しかった。まさに自分の積み重ねの証として自らを祝う気持ちを持てるほどの成果だった。次は弐段そして師範資格だと思い、歩んでいる最中だった。

 

2023年5月のメールだ。8月末の稽古をもって憧れの師範たちは本部から去るという。4月に受験した弐段の審査を待っている最中だった。その後、数点足りず不合格の通知がきた。次の審査は11月に予定されていた。その時に彼らがいないことが決まってしまった。8月末を迎え本当に彼らは本部から去り、中には会からも去っていってしまった。それぞれに事情があったというが詳しいところはわからない。関係の修復はなされなかった。

 

その後の稽古は…9月は宗家による稽古だった。しかし、10月、11月、合宿、12月と稽古がなされた…。稽古に行くと悲しくなることばかりだった。スポンジのチャンバラ刀、プラスチックの刀が持ち込まれたり、それで叩き合いをしたり、いつも整頓されていた稽古場は雑然と散らかっていた。無神経になされる写真撮影や動画撮影。消費消耗される稽古人たち。事務局案内の度にがっかりさせられる。生きる意味を見つけられた場所だったけれど、今や何も感じなくなってしまう。稽古をすることで、なぜかただただ悲しくなる。心が死んでいくような気持ちにもなる。

 

疑うことなく、この5年間稽古の場は神聖で憧れの場だった。でも、この5ヶ月で全く違うものになってしまった。

 

1月の初めの稽古でその虚しさがある限度を超えてしまった気がする。あの場に行きたくない。その場に自分を置きたくない、そう思った。その気持ちを誤魔化すことができなくなってしまった。